2025年度 連続研究会「境界と世界文学」
14:00 ~ 17:30
南田 みどり
「ビルマ報告 震災のあとさき」
対面とGoogleMeetかZoomによるハイブリッド開催
〔対面〕 龍谷大学深草キャンパス和顔館4階第3会議室(定員40名)
対面での参加をご希望の場合は、運営委員の今井敦までご一報ください。
(詳しい連絡先は申込フォームのリンクから)
〔オンライン〕 Zoom等にて会場から中継
リンクにつきまして、お申込みいただいた後に、メールでお知らせいたします。
お申込みについて
事前に、以下のFormからお申込みください。
お申込みフォームはこちらをクリック
2025年度 連続研究会「境界と世界文学」
第一回研究会 12月21日(土)14:00-17:00
参加希望者は、下のリンクのフォームからお申込みください。Online参加方法を折り返し連絡します。
また、対面での会場も設け、登壇者とスタッフと運営委員らが対面会場から参加しますが、会場の都合上、オンラインでのご参加をお願いしております。対面での参加を強くご希望の場合には、下のリンクのフォームからご連絡ください。
お申込みフォーム→(終了)
2024年度 連続研究会「世界文学と「異なるもの」」
第三回研究会 7月20日(土)15:00-18:00
参加希望者は、下のリンクのフォームからお申込みください。Online参加方法を折り返し連絡します。
また、対面での会場も設け、登壇者とスタッフと運営委員らが対面会場から参加しますが、会場の都合上、オンラインでのご参加をお願いしております。対面での参加を強くご希望の場合には、下のリンクのフォームからご連絡ください。
お申込みフォーム→(終了)
2024年度 連続研究会「世界文学と「異なるもの」」
第二回研究会 4月20日(土)14:00-18:00
参加希望者は、下のリンクのフォームからお申込みください。Online参加方法を折り返し連絡します。
また、対面での会場も設け、登壇者とスタッフと運営委員らが対面会場から参加しますが、会場の都合上、オンラインでのご参加をお願いしております。対面での参加を強くご希望の場合には、下のリンクのフォームからご連絡ください。
お申込みフォーム→(終了)
2024年度 連続研究会「世界文学と「異なるもの」」
第一回研究会 12月16日(土)14:00-17:00
参加希望者は、下のリンクのフォームからお申込みください。Online参加方法を折り返し連絡します。
また、対面での会場も設け、登壇者とスタッフと運営委員らが対面会場から参加しますが、会場の都合上、オンラインでのご参加をお願いしております。対面での参加を強くご希望の場合には、下のリンクのフォームからご連絡ください。
お申込みフォーム→(終了)
2023年度 連続研究会「戦争を問う」
第四回研究会 7月22日(土) 15:00-18:00
参加希望者は、下のリンクのフォームからお申込みください。Online参加方法を折り返し連絡します。
また、対面での会場も設け、登壇者とスタッフと運営委員らが対面会場から参加しますが、会場の都合上、オンラインでのご参加をお願いしております。対面での参加を強くご希望の場合には、下のリンクのフォームからご連絡ください。
お申込みフォーム→(終了)
<発表要旨>
2023年度 連続研究会「戦争を問う」
第三回研究会 6月17日(土) 14:00-17:00
早崎 えりな 「戦争と音楽・・・・第二次世界大戦下のドイツと日本」
山室 信高 「二つの世界大戦と世界文学――トーマス・マンの『魔の山』と『ファウストゥス博士』」
参加希望者は、下のリンクのフォームからお申込みください。Online参加方法を折り返し連絡します。
また、対面での会場も設け、登壇者とスタッフと運営委員らが対面会場から参加しますが、会場の都合上、オンラインでのご参加をお願いしております。対面での参加を強くご希望の場合には、下のリンクのフォームからご連絡ください。
お申込みフォーム→(終了)
<発表要旨>
早崎 えりな 「戦争と音楽・・・・第二次世界大戦下のドイツと日本」
ナチス政権下のドイツでは1933年末、国民啓蒙宣伝大臣ゲッベルスのもとに「帝国文化院」が組織され、その下部組織として全国の音楽活動を統制する「帝国音楽院」が創設される。これにならって、日本では1941年に情報局と文部省の管轄において「日本音楽文化協会」が組織され、当時の著名な音楽関係者のほとんどがメンバーとなる。その活動目的は「音楽による国民精神の昂揚並びに情操の滋養」「国家的公共的行事に対する協力」であった。
本発表では、戦時体制下の日本とドイツの音楽界の状況を概観し、「帝国音楽院」の初代総裁リヒャルト・シュトラウスと、「日本音楽文化協会」の実質上のトップで創立直後の副総裁山田耕筰、さらには、1931年東京音楽学校教師として来日し、敵性外国人として抑留され終戦を東京で迎えたユダヤ系ドイツ人クラウス・プリングスハイム(トーマス・マンの妻カチアの双子の兄)、この三人の戦時体制下の活動についてとりあげる。
山室 信高 「二つの世界大戦と世界文学――トーマス・マンの『魔の山』と『ファウストゥス博士』」
80年の生涯を送ったトーマス・マン(1875-1955)は、その前半生は普仏戦争後の「平和」な時代、そして後半生は第一次および第二次世界大戦という未曾有の戦争(総力戦)の時代を生き、書いた作家である。
本発表では本来あいまいで捉えがたい「時代」というものが集約的に前景化する戦争という出来事に注目して、マンの後半生を代表する二つの長篇小説である『魔の山』(1924)と『ファウストゥス博士』(1947)をあらためて読み解きたい。『魔の山』はマンが第一次大戦をはさんで書き継いだばかりでなく、主人公の青年ハンス・カストルプが7年の高山サナトリウム滞在の後に世界大戦へ参戦する場面で幕を閉じる。また『ファウストゥス博士』は第二次大戦中に亡命先のアメリカで書き始められたが、副題(「一人の友人によって語られたドイツの作曲家アドリアン・レーヴァーキューンの生涯」)にあるとおり、語り手であるゼレヌス・ツァイトブロームが第二次大戦のさなか空爆の危険に曝されつつ、ナチスドイツの暴挙を見据えながら綴った伝記という体裁をとっている。どちらの小説においても、戦争は執筆の背景を成しているとともに、物語の主要なモチーフにもなっている。まずは文学研究の基本に則り、二つの小説の中で世界大戦がいかに描かれ、語られているのかを比較検討する。その上で、単に是か非かでは割り切れない戦争の文学的意義を考えたい。
2023年度 連続研究会「戦争を問う」
第二回研究会 4月15日(土) 14:00-17:00
中村唯史 「二項式への違和と抵抗―近代以降のロシア文学における戦争の表象」
原 基晶 「チェーザレ・パヴェーゼ「丘の上の家」: 現実と神話、そして神に祈ること」
参加希望者は、以下のリンクあるいはQRコードのフォームからお申込みください。Online参加方法を折り返し連絡します。
お申込みフォーム→(終了)
<発表要旨>
中村唯史 「二項式への違和と抵抗―近代以降のロシア文学における戦争の表象」
2022年2月に始まったロシア軍のウクライナ侵攻以降、二項式が世界中を徘徊し、日本もその例外ではなく急速に実体化しつつある。ひとが戦争という極限状況を表象する際には、どうしても「敵vs.味方」の図式が前景化してくるのだろうか。だが、たとえば対独戦従軍時の見聞に基づくワシリー・グロスマンの短編には、「ソ連vs.ドイツ」の二項式を穿つような記述も見られる。
本報告では、①ひとの意識に二項式を成立させる「境界」の描かれ方、②その境界に語りの「視点」がいかに切り結んでいるかの2点に着目して、近代以降のロシア文学における戦争の表象を考える。取り上げるのは、19世紀前半から中葉まで長期に渡って戦争状態にあったコーカサスが舞台のプーシキン『コーカサスの虜』(1822)、レールモントフ『ヴァレリーク』(1840)、トルストイ『コサック』(1862)『ハジ・ムラート』(1904)や、現在のウクライナ北西部における1920年のソヴィエト-ポーランド戦争に取材したバーベリの『騎兵隊』(1926)等である。ソ連崩壊後のチェチェン戦争をトルストイの短編を用いて批判したポドロフ監督の映画『コーカサスの虜』(1996)にも言及する。
原 基晶 「チェーザレ・パヴェーゼ「丘の上の家」: 現実と神話、そして神に祈ること」
ネオレアリズモの中心的な作家とされるチェーザレ・パヴェーゼ(1908-50)は、詩作品と異なり、小説では自伝的な内容を語ることがないとされる。しかしその例外が、第二次世界大戦の空襲下にあるイタリア北部の都市トリーノでのパルチザン活動に参加した主人公が、ドイツ軍の弾圧を逃れ、故郷の丘の家に戻ってくるまでを描いた「丘の上の家」という小説である。この発表では、非人称動詞等の戦略的な使用やアレゴリー的表現、神話からの引用、当時の符丁的な会話などを、作品当時の時代状況を把握しつつ読み込み、作家の創作行為を、政治的対立の激化した世界における表現の可能性という普遍的な位相で考察する。特に冒頭の一文について、これまでとは全く異なる読解を行い、それによって『神曲』と比較することで、これまで、日本では「裏切り」をキーワードに理解されてきたパヴェーゼについて、キリスト教的観点から新たな解釈の可能性を探りたい。
第一回 連続研究会 12月17日 14:00-17:00
中山弘明 「第一次世界大戦は終わったか?ーーレマルク『西部戦線異状なし』の日本における受容
姫本由美子 「日本軍政下ジャワにおいてどのような期待すべき「国民」像が文学にいかに描かれたか」
研究会はOnline で行います。
参加希望者は、以下のリンクあるいはQRコードのフォームからお申込みください。Online参加方法を折り返し連絡します。
お申し込みフォーム→(終了)
<発表要旨>
中山弘明 「第一次世界大戦は終わったか?ーーレマルク『西部戦線異状なし』の日本における受容
エーリッヒ・レマルク作『西部戦線異状なし』(1928)は、ルイス・マイルストン監督の著名な映画(1930)以来、所謂「反戦小説」というくくりの中で論じられて来た。しかしこの作品が受容された時代は、むしろ世界的な「モダニズム」の全盛期であったことは注意を要する。日本でも本作は大きなブームとなったが、梶井基次郎は「ダダイズム」や「チャップリン」を引き合いに出して論じているし、大岡昇平のような戦後作家の戦争認識への影響も軽視できない。ここではまず本作を翻訳したのが秦豊吉という、帝劇のボードヴィル、レビューの草分けであった事実からはじめ、さらにこの作品の日本における受容の一つが演劇であったことに留意したい。1929年の高田保演出による新築地劇団、同年の村山知義演出による劇団築地小劇場による競作がそれである。舞台の上で上演された〈世界戦争〉とはどのようなものであったのか。いくつかの視点をあげておくと、映画を舞台上に並行して流す「連鎖劇」の手法、レビュー的な「見せる芝居」であったこと、さらには当時の検閲の問題などが留意される。それらを踏まえて、文学/演劇が世界戦争をどのように表象したか、また時代のメディアと戦争との関わりを論じる。
姫本由美子 「日本軍政下ジャワにおいてどのような期待すべき「国民」像が文学にいかに描かれたか」
オランダの植民地であったインドネシアは、1941年12月8日に英米へ宣戦布告した日本によってほぼ翌年3月初旬までに占領され1945年8月まで軍政下に置かれた。「大東亜戦争」と命名された同戦争に勝利し、日本を指導者とする「大東亜共栄圏」建設には、インドネシアの資源獲得と住民動員が必要であり、そのための文化政策を実施した。
インドネシアの政治等の中心であったジャワでは、大宅壮一や武田麟太郎等の日本軍に徴用された文化人と、オランダ時代から「インドネシア的なるもの」を模索していたインドネシア人文化人が占領軍による言論統制の中で軍政の文化政策を担わされた。
本報告では、彼ら双方の活動を明らかにすることを通して、それが現地の文学者たちをして日本軍政による検閲等をかいくぐって「日本のプロパガンダのため」を「インドネシア社会のため」へと置き換えて作品を創作することを一定程度可能にしたことを示す。そして彼らが文学作品、特に戯曲の中にインドネシア「国民」像、すなわち西欧の文化も含めた多様な文化の影響を歴史的に受けて形成されてきた「インドネシア的なるもの」を「国民」文化として受け入れる華人や欧亜混血人をも包摂したインドネシアの全住民、を描いていったことを明らかにする。